March 10, 2010

教育と「知的美術館」

ミュージアムとデジタル・メディアの関係を考えていると、
どうしても「教育」という観点は避けられなくなる。
つまり、ナントカという技術を駆使して展示物の情報がよりインパクトをもって伝えられるとか、楽しみながら学べる、、とか。
education、というのは、すでにミュージアムの定義にも入っている言葉だし、これを存在意義の第一義にもってくるミュージアムもある状態なので、
その流れを無視するわけにはいかないだろう。

でも、私は「教育」という視点が、実は苦手なのである。
なんで、ミュージアムで教育なんだろう、って。
ことに、美術館に関してはそう思ってしまう。(それですら、古い観念に縛られているだけなのはアタマではわかっているのだが)

しかしそれは、「教育」という言葉を、私の方がすごく狭くとりすぎているからなのだろうな、とも思っている。
「知的な場である」と言われれば、それはそうだ、と思うし、もっとそうなってほしいなとも思うから。

※今、思った。私の中では「教育」的要素を追いかければ追いかけるほど、「知的」から遠ざかるような気すらしているのかもしれない。
それってよく考えると変なの!
美術の鑑賞は純粋に自分の心と対峙すべし、という近代美学的?な考えから離れられてないんだろう

New York May 08

修士論文の段階で、そこまでいけるかどうかはわからないけれど、
なんというか、私は、デジタル・メディア=ミュージアムの存在意義のひとつでもある教育的見地として重要、というところから、
もう一歩超えたことを言いたいのだと思う。
もっと、根本的な体験としての必要性というか。。
ミュージアムの概念の問題というか。。。むにゃむにゃ

と、朝から闇雲に書いてみたのは、
下記文章を読んで、メモしとこうと思ったから。
今日参加するシンポジウムで「拡張するミュージアム」というお題がひとつあるゆえ、「美術館の概念は無限の拡張可能ではない?」という記事。こちらは2002年なので古い記事ですけどね。

ツイッターに書こうかと思ったが、長い引用になるのでできなかった。
いまだに個人的にはツイッターつかいこなせてない。笑
ま、このくらいラフにブログも使えばいいのか。

というわけで、忘れないようにメモしておきます。

■「美術館が将来の必要性を検証し始めるとすぐに、単に新しいスペースではなく、従来のものとは根本的に異なる空間が必要となることを認識し始める。つまり言い方を変えると、MoMAは、これまでしてきたように、単に拡張するだけでは、その膨張に耐えきれないということである。もし、MoMAが今後の難問に立ち向かいたいと思うなら、知的でプログラム的な目的を実現可能とするような空間と空間的関係を与えられる新しい美術館を創造する必要がある。」

■エルンスト・ファン・アルフェンは、これを「知的美術館」と呼ぶことを提案している。比較、会話、交渉、価値付け、判断、そして不和の場所。マサオ・ミヨシの意見に沿って、簡潔に言うと、教育のための「自由な」場所である。しかし、ファン・アルフェンが、美術館は知識のための場所ではなく、経験を生み出す場所となっていると言うのは正しい。

■(略)・・・知識を生み出すことは、その最もな重要な仕事ではないようだし、最重要の関心事ではないようである。それゆえ、美術館の中心に知を置くこと到底無理なようである。しかし、それは私たちが美術館において知的な仕事をどのように考えるかによる。(中略)
思考の劇場としての理論化は、必ずしも美術作品の同時代的、歴史的参照を単に考えることに向かうことではない。(中略)
本当の挑戦には、新しい種類の想像力を生み出し、移行の意義やその時期の異なる面を強調することが含まれている。それは、決して美術作品それ自体にあるのではなく、それがもたらす効果や、観者を自由にする包容力として認識されるものである。(中略)
より正確に言うと、彼等は、美術作品の自立性よりも、多くの自立性を見る人に認めているのである。

クリス・デルコン「美術館の概念は無限に拡張可能ではない?」、アール issue 01/2002 p.16〜21
March 02, 2010

ミュージアムの情報デザインにおける”キーワード”の変遷を調べてみた

とっくに春休みですが、旅行にも行かず今月中旬に迫った研究計画発表会の準備に追われてます。

さて。
今日も今日とて作業のはずだったんだけど、
Archives & Museum Informatics」というサイト(※1)で、ミュージアム内外でのモバイルやハンドヘルド、オーディオ等の文献を調べているうちに、
ここって1980年代からの資料があるけど、”ミュージアムでの情報デザインとかIT”に関するトピックってどんなふうに変わってきたのかなあ、、今、私が調べてるところとかって、いつぐらいに一番注目されてたんだろう、、
というようなことが妙に気になってきて、

時間がないのに、やってしまった、キーワードの変遷の統計?を・・・。

London 09/2009


ここのサイトでは1987年から2009年までの資料1403件がアーカイブされており、
ドキュメントひとつひとつに複数タグ(キーワード)がついている。
検索の中にはキーワード一覧もあって、どのキーワードにいくつドキュメントがあるかもわかるので、
「このキーワードをタグにしている資料が多いな」というのもすぐわかる。
ただし、タグなので、かなり自由につけられており、
たとえば「3D」というキーワードでも、単なる「3D」から「3D Animation」「3D Avatars」「3D display」・・・
といくつも関連キーワードがあって、ひとつのドキュメントしか対応しないキーワードもわんさかある。

というわけで、このキーワードリストのうち、
関連も含めて「10」を超えるものを、かなり乱暴にひっぱって(それでも64個出てきた)年代順に整理してみたわけ。
で、「2000年以前」と「2000〜2004年」、「2005〜2009年」にわけて、一応、年ごとのタグの母数が違うのでそこは補正をかけてみたりしつつ、
キーワード数の変遷をグラフ化してみたわけ。。。(何度もいうけど、ほんとにそんな暇はなかったのだが)

なので、詳細のグラフなんぞはあまりにデータを適当にとっているので公開できないが、ざくっとした結果を公表してみます!

★まず、他の期間に比べ、2005〜2009年が一番数が多かった(つまり、最近もっとも注目されている)キーワード。
最近のなので、順不同ではなく、一応きちんと多い順に。

キーワード多かったランキング
(1)user
(2)collaboration
(3)mobile(handheld含む)
(4)web2.0(3.0含む)
(5)social
(6)user generated contents
(7)community
(8)3D
(9)participation
(10)semantic
(11)open source
(12)blogs
(13)podcast
(13)game
(15)geography
(15)heritage
(17)location
(17)wiki
(18)audio
(19)innovation

このうち、2005年以降に初めて出てきたキーワードが、「blogs」「podcast」「web2.0」「wiki」。

London 09/2009


★次、他の期間に比べ、2000年〜2004年に最も多かったキーワード。
ここからは、めんどくさいのでアルファベット順に。


accessibility/art/audience/collection/content/context/cultural heritage
databese/digital media/e-learning/education/evaluation/experience/interface
internet/learning/metadata/narrative/personalization/storytelling/teachers
usability/user centerd design/virtual/virtual museum/virtual reality/visitor/web

この期間に一番多かったキーワードトップ3は「web」、「virtual」、「education」。
たった5年だけど、2005〜2009年が「user」、「collaboration」、「mobile」のと比べると、かなり違うがしますねー。
この時期に初めて出てきたキーワードである、「narrative」や「storytelling」、「teacher」、「virtual museum」とあわせてみても、この時代の気分を感じさせる。

なんせ、webが一般化したのが大きかったんだろうし、美術館の教育目的というのは20世紀の半ばから云々されているはずだけど、それが「(ミュージアムを離れた遠隔で)より、できる」時代になったという期待感のあらわれもあったのかもしれない。
「virtual museum」というキーワードが新出したところをみても、
PCとwebが個人に普及した時代に、ミュージアム側が自分たちを「遠隔」へ「(場所を超えた)拡大」、「別館」化していくこと、に目がむいたように見える。

それに比べると、最近5年間のトップであった「user」や「collavoration」、そして「mobile」、
加えてライクインしていた「participation(前エントリでこの言葉への違和感を書いただけど・・)」「geography」「location」なんかのキーワードをあわせてみると、
まずは、自分たちがストーリーテリングするよりかは、むしろuserに何かを語ってもらうこと、動いてもらうこと、
場所はvirtualというよりも、ミュージアムを含めて「今、ここ」を重要視しているいっているのかもしれないなあ。

London 09/2009


★最後、1999年以前に最も多かったキーワードはこちら。

archive/computer/copyright/design/digitalization/exhibit/exhibition/
history/historical/hypermedia/informatics/interaction/interactive/kiosk
multimedia/museum/standard/video

・・・こちらはもうまるきり、「web以前」ですね。
なんつってもハイパー・メディアだし。
ただ、「interactive/interaction」「museum」「multimedia」「archive」なんかは、全期間を通じて数は多くて、
このあたりの単語はまあ、ここに収録されている文献の基本ワードということなんでしょう。

・・・
というようなことを
あああああああああああああああああああ
ついつい調子にのって、一日ほくほくやってしまったああああああああああああああああああああ

かなりいい加減にとったデータで作ってるので、もちろんなんの資料にはならないし(知ったところでどうということのない内容だし。。)、
というわけで、悲しくなったのでブログにあげてみた次第。です。

--------

そうそう、備考として、まだ数が多くはないが、ここ最近、「Facebook」だったり「You Tube」とか、固有のサービス名もキーワードとしてあげられてきている。
今年はいくつか「twitter」が入るんじゃないか。(social mediaなどのキーワードに含まれている可能性もあるが)
あと、今、別件で関わっている「AR」こと「拡張現実」も確実に数をのばしている。(今年のカンファレンスですでにいくつか発表が決まっているようだ)
こうしてみると、ミュージアムがITやデジタル・メディアと縁遠い、なんてまったくの思い違いだったなと思う。
ミュージアムこそ、メディアの変化とともにそれを取り入れ、同じく翻弄されていっているよなあと。

しかし、50年代のそれと、今のそれを比べれば、ミュージアムにおけるデジタル・メディアの存在意義はは変わっていっていると、なんとなく感じている。
今、ここまでデジタル・メディアが発達してようやっと、(少しかしこまっていえば)民主主義時代のミュージアムの役割がより活発に、可視化して果たせるようになったんじゃないかと、
(それこそ、教育的目的”のみ”や収益源といったような)サブではない、メインとして組み込める時代になったんではないかなと思っている。
思ってるだけ、じゃ、だめなんだけど!

とりあえず、明後日の教授と面談の資料、明日夜までには作って送らなきゃー。うわーん。


※1
同名の会社が運営しているサイトで、同じく同社が開催している国際カンファレンス「Museum and the Web」で発表された資料などがアーカイブされている。
その名のとおり、ミュージアムにおける情報システムデザイン及びIT活用に特化した資料や事例がいっぱい!
資料として調べていると、ついつい事例の面白さに溺れて本筋を見失うこと多し!
February 05, 2010

「参加型」への違和感と、ボイスの「すべての人は芸術家である」

またまたご無沙汰エントリです。

本題に行く前に。

かなり余談なんだけど、2週間前ぐらいの授業で、
突然、マーケティングの教授に、私のブログがバレていることがわかり、わああああああああああああと叫んで教室を飛び出したい気分になった(笑)。
「『ほんもの』ってなんなんだよ?」という話
↑このエントリを読まれたようなんですけどね。ええ。。

顔写真も出して、本名のJunkoで書いてるし、リアル知人・友人がいるtwitterにも更新情報がいくように設定しているぐらいなので隠す気もさらさらないし(宣伝する気も全然ないけど・・・できればひっそり自分の好きなこと書きたい)、
プロフィールももうちょっと具体的なのに変えてもいいかな、って思ってるぐらいなので、
知り合いの人とか遠い友人とかがたまたま検索とかで見ることってあるんだろうな・・(って言われたこと何回かあるし)と思っているんだけど、
さすがに教授、しかもよりによって「マーケティング」の教授は恥ずかしい。
だってマーケティング、とか言ってるけど、ばかみたいなこと書いてるし。。
でもこうやって、インターネットでなんでもつながる時代の重要な耐性がついていくのだ。きっと。きっと・・・。
つまりは、無知で中途の自分の状態をオープンにしておけること。だって完璧にすごいことなんて、たぶんずっとかけないし。あーん(泣)。
めげずに、ブログは書いていこう。

ええっと、ちなみに、今の時代の「ほんもの」はそれぞれの人の心とそれが社会化される過程にあるそうです(たしか)。

※ ※ ※
本題。

最近、考え事をしては、メモをして、メモをしたのを忘れては、また別のところでメモをして、
ということが続いていたんだけど、
さっき、それらを寄せ集めてみたところ、最近の頻発ワードは「参加とは、参加するとは何か」であることに気づいた。

会社勤めをしているときから、「参加型」という言葉が苦手で、
オンライン・コミュニティに関わる仕事を長らくしていたけれど、そういう言葉を使われていたことは社内でもほとんどないと思う。

よくよく考えたら、「(オンライン、オフライン問わず)イベントに参加してくださいね」とは言う。
でも、コミュニティに参加するって、なんかしっくりこないのだ。というか、そういう考えで出すコミュニティを作る企画はあまりうまくいかない。
参加型ウェブ、とかって言われると、正直、「つまんなそう・・・」と思ってしまう。

New York May 08

で、視線をアートの世界に向けてもそう。
よくやっている、「参加型ワークショップ」みたいな言葉のが、私は苦手だ。
ついでに言えば「市民参加」という言葉も苦手。
やっている内容がどうこうではまったくなくて、言葉が苦手なだけなので、誤解して欲しくないし、
言葉にこだわるって、なんか自分が幼稚みたいなんだけど。。それはやっぱり、自分に近しいところで頻出する言葉だから、変にこだわってしまうのかもしれない。

もとい、最近、というか昔から、
私たちとアートが結びつくために、デジタル・メディアは何か役に立てるのではないか、
それがない時代より、もっと本質的な出会いをできるのではないか、
もっと豊かで、人生に影響を与える経験を紡ぎ出せるのではないだろうか、、、
というようなことを考えていて、
でも、じゃあ研究もそこ手を出してみる?と思って、そういうの調べだすと、必ず「(人々の)参加」が関わってきて、うーんここがなんかひっかかるなあ、どう折り合いをつけようかなあ、と考えあぐねていた。
そんなところ、先日、ふと昨年の夏ぐらいに読んだひとつの文章を思い出した。
2009年3月に発行された「国際広報メディア・観光学ジャーナル」に掲載された『ヨーゼフ・ボイスの「すべての人は芸術家である」 : 現行の「クリエィティブ経済」との比較的考察』(堀田真紀子)という文章である。

「すべての人は芸術家である」と言った現代アーティスト、ヨーゼフ・ボイスの思想から、フロリダを中心とする「クリエイティブ経済」論の可能性と問題を考察する・・・というような内容のもので、
一部、若干古いかなあという引用があるのと(アシッド・キャピタリズムとか)、結論は個人的には「むむー」と思うところはあったのだけど、
「クリエイティブ経済論」自体に「?」もあった文学部的思考から逃れられない私としては、こういう切り口は面白いなあと思っていた。
先日、水戸芸術館で終わったばかりのボイスの展覧会に合わせて出版されたボイス本(「BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」)を読んでいて、ふとこの文章のことを思い出して
当時メモしたものを引っ張り出したところ、こんな抜き書きに目がいった。

■ボイスの「誰もがアーティストである」・・・能動的に自分自身を、自分の行動を規定すること。

★ホビーとしてのクリエイティビティ
趣味ホビーとしてのクリエイティビティの発揮は、ようするに先ほどのイデオロギーの「美化」のメカニズムを、小規模の形で、一人一人がやるのと、変わりはない。(中略)ちょうどそれと同じように、生きる態度も、自身の行動も、全然変える気のない人(つまり自分の人間としての「核心」にクリエイティビティを向ける気のない人)が、「ファッショナブル」な服でも身をまとうように、生を縁取る装飾として身にまとうのが、ホビーとしてのクリエイティビティである。

★人々がいくら余暇で自己規定的なクリエイティビティを発揮しても、社会構造に変わりはない。(中略)芸術概念が人間核的、全体的なものになり、一人一人が自分を素材にした芸術創造をはじめるとき、同時に社会彫刻(※1)が始まるのである。

★私たちのクリエイティビティがすっかり萎縮してしまっている背景の一つには、創造力が、個人的な生活の圏外で発揮する道がほとんど経たれていることがあげられる。近所の景観といった本当に身近なことすら、その決定過程に参加できず、(中略)世論の一端を担う以上の形では、何の影響力も及ぼせない。たとえいいアイデアがあっても他者に認知されず、有効化されるチャンスもない。こうした生の基幹的な問題に関わることが許されない私たちのクリエイティビティが、では、どこでは発揮することを許されているかといえば、またしても余暇や趣味といった生の装飾部分、せいぜいアカデミックなジャンルに囲い込まれた芸術の中である。

※■=私のメモ ★=引用


堀田さんの文章にも「参加」って出てきてるなあ、まあ、それはこっちに置いておくとして。
『生きる態度も、自身の行動も、全然変える気のない人(つまり自分の人間としての「核心」にクリエイティビティを向ける気のない人)が、「ファッショナブル」な服でも身をまとうように、生を縁取る装飾として身にまとうのが、ホビーとしてのクリエイティビティである』という言葉は、読んだ時もけっこうずーーんときて、心に残っていた。

で、今、この文章を読むに、私が「参加型」に感じる違和感は、
「ホビーとしてのクリエイティビティ」への違和感に、(かなりうまく言えていないけど)通じるものがあるんじゃないかとふと思ったのだ。
つまり、参加のための参加、というか。。。

あ。

私の指導教授は、よく授業の中で「involve」という言葉――「この展覧会が、いかにそこに住む人達をinvolveするか」とか――を言うのだけど、
involveが、巻き込まれるとか、熱中させるとか「包み込まれる」ようなイメージがあるとすれば、
参加するは、もっと全体じゃなくて一部、だったり、選択して関与する、みたいなイメージだったりするんだよな。

おお!今、語源辞典調べてみた。

involve
巻き込む、含蓄する(中にin巻き込む)
[語源] in(=中に)+L.volvere(=巻く)

participate
参加する(部分を取る)
[語源] part(部分)+L.capere(捕える、容れる)+-ate(動詞語尾)

文章をくみたててから書いているわけではないので、どんどん話がそれていくし、意味わかんない文章になってそうだけど
私が、「参加」に感じる違和感は、この「部分」感なのかもしれない。。
堀田さん(もしくは、ボイス)の言葉で言うならば、「ホビー」感というか。。。

少なくとも私にとって、アートとは、なんというかホビー以上の「刺激」だったり「劇薬」だったり「人生変わった!」するのよね。
そして同じく、デジタル・メディアやそれに伴う生活や意識の変化というのも、「刺激」だったり「劇薬」だったり「人生変わった!」だったりする。
だから、私がアート×デジタル・メディアと、それの可能性を考える時、そういうところで自分が何が発せられるだろう、何が発したいんだろう、、と考えた時、
なんとなくイメージは、「部分」じゃないんだ。やっぱり「包み込まれる」方がしっくりなんだ。

New York May 08

・・・後半、完全、自分でひとり納得、ひとりごとモードだったけど、
えっと、最近は、そんなことを考えています。
って、もう「巻き込まれ型マーケティング」とかってとっくにありそうだけどね。(そうじゃない、そうじゃないんだ。)

ミュージアムやシアターは、ソーシャル・メディアの活用により、人々の心を変革するような装置になるか
その場合、デジタル・メディア、ソーシャル・メディアはどのように活用されるべきなのか。
その答えは、とても数年で出るようなものではないけれども、
私の志向、嗜好と、今までの経歴を考えても、取り組みがいのある、わくわくするお題だったりするわけです。

さて、妄想はこのへんにして、もう少し地に足のついたところを考えなければー。

BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命
販売元:フィルムアート社
発売日:2010-01-26
クチコミを見る
January 15, 2010

SOUNDWALKによる新しい形のアートガイド

授業のプレゼンで何を題材にしようかなあ、と探していたところ、
ふと思いついて調べてみて、再度興味を持ったものがある。

それが、オーディオガイド「SOUNDWALK」。※リンク先、音でます。

だいたい5ドルぐらいでMP3でおとすタイプのオーディオによるツアーガイドで(ツアーによってはiPhoneバージョンもある)
現在、NY、パリ、北京、上海、、、などのシティガイドの他、都市ランナー用のもの、そして一部ミュージアムや展覧会用のものがある。

soundwalk


これに注目したきっかけは、2008年のCHANEL MOBILE ARTで、けっこうインパクトがあったのでブログにもエントリしていた。

CHANEL MOBILE ARTはすごい

このエントリに詳しく書いたけど、この移動型エキシビジョンは完全予約制かつ、オーディオガイド必須のもので、
最初から最後まで40分間、オーディオガイドの指示どおりに見てまわるというもの。
で、オーディオガイドというのがこのエキシビジョンの肝で、特徴としては以下の3つ。

(1)作品の前にいって対応する番号を押すタイプのガイドではなく、最初から最後までオーディオガイド聞きっぱなし。
そして、作品や作家の来歴などのガイドは一切なし。
つまり、作品ごとの分断された紹介ではなく、「エキシビジョン体験」自体の世界観を与えるためのガイドであること。
(2)ナレーションとサウンドスケープのクオリティが高いこと。というか、これ自体も作品、と言えるぐらい。
なにせ、フランス語版のナレーターはジャンヌ・モロー。(日本語版はオノ・ヨーコではと勝手に思ってたんだけど誰だったんだろ?)
(3)まわる順番はもちろん、いつのタイミングで次の作品に行くか、どうやって行くかまで指示がされること。

このオーディオガイドを作ったのが、SOUNDWALKシリーズを作っているSOUNDWALK社だったのね。
※CHANEL MOBILE ARTのオーディオガイドについてもサイトにのっている。

当時観た時は、この見せ方が斬新に感じ、「こうやって現代アートをみせるやり方もあるんだなー!」とえらく感心した覚えがある。
だから、なんとなく今でも「SOUNDWALK」という名前を覚えていただけど。。。

soundwalk02


で、今サイトみてみても、やっぱりこのオーディオガイド、面白いなーと思う。
(アート系ではまだ、「ブロンクスのグラフティアートめぐり」と、「『ダ・ヴィンチ・コード』の世界観でまわるルーヴル美術館」ぐらいしかないように見えるけど。あとはパレ・ロワイヤルとかか)
たしかに、耳を塞いで、作品に対する見方、感じ方を強制されるツールとも言えるし、そういうのはどうかなあと思うけど(特に現代アートのエキシビジョンであれば、アーティストとの調整も必要だと思うし)、
おそらくこのガイドが本当に面白いのは、たとえば、何回か来たことある街だったりミュージアムを歩く際に、「(見慣れた光景や作品が)新鮮に見える」ところなんじゃないかと思う。

何度もブログに書いたことがあるけど、私は小学校の頃はじめてWALKMANをして外を歩いた時、
「うわああ、私、ドラマの主人公になった!」と感動した経験がある。(その驚きが今も長く長く尾をひいているところもある。。。たぶん)
それは、普段見慣れた光景が、音や曲が入ることでいきなり違う、新鮮な風景に見えたからに他ならない。
CHANEL MOBILE ARTは見慣れた風景、ではないけど、「見慣れたエキシビジョンというもの」「観たことがあるアーティストの作品(有名アーティストの作品が多かったので)」に対する、
新しいメガネを渡されたような、そんな感じがしたんじゃないかなあ、、、と思うの。
というかまあ、難しいこと抜きにして、結局自分、こういうの好きだよね、ってことなんだろうけど(笑)。

なにより、1年半前と今とで違うことは、やっぱり今はiPhoneがあること。
一部のガイドのサンプルが、iPhoneで無料ダウンロードできたのでおとしてみたけど、
当たり前だけど、マップが表示されていて位置情報により自分が今どこ歩いているかわかるし、

soundwalk03


今んとこはマップしか表示してないようだったけど、もう少しエンターテインさせるようなものや知的好奇心をフォローするようなテキスト、画像、映像だって表示できる。
つまり、従来の”ガイド”の部分を合わせたりもできるし、もっとその世界に没入させるような視覚的な何かをプラスすることもできるかも。。。なんて、ああ、たのしそ!←笑
世界のミュージアムとかシアターのガイドがapp storeとかに全部揃ってて(しかも、1つの場所につき何パターンかガイドがあって選べたりして)、旅先でそっからダウンロードして行く、とかって楽しいかもなー。

※ ※ ※

なんかここ最近のエントリ、最終的にはガイドブックな話になっちゃってるけど、
なんというか、
●アートを気楽に刺激的に日常で楽しめればいいよなー的なそもそもの志向と、
●ガジェット好き好き、ミーハーだぜーという性質と、
●今後書籍とか出版とかってどうなっていくんだろーという今日的興味、
●あとは旅はいいよねー的趣味、
そういういろんな「気になるもの」がリンクしているところに、たまたま「新しい形のガイド」というものがある、って感じっぽい。
そう思う時は、なんか自分でやってみちゃった方がよいのですよね。
わかります!

※ ※ ※

ちなみに、何の授業のプレゼンの準備だったかというと「文化消費とアーバンツーリズム」の授業、、で
プレゼンのテーマは「文化施設における解説やガイドの役割(の変化)」。

授業内容は、

ミュージアムとそのコレクションは、そもそもは「礼拝的価値」、言い換えると「アウラ」があったのだけど、
今はそういう時代ではなくなっている。むしろ、参加やコミュニケーションの時代へ。
例えば、阿修羅展の阿修羅を見ている人たちにとって、阿修羅のアウラは問題ではなく、「都市のスペクタクル」として阿修羅を体験している。
現在、私たちは記号を消費している(※1)というが、「消費の仕方」自体も物語や主義に基づいているものではなく、記号と記号を飛び交うような、そんなポストモダンの消費スタイルになっているのではないか。。。

みたいな感じ。(もっといろんな要素の話が入っているけど)
で、「解説」に関する研究(そんな研究もあるのね)の中で言われている「解説」のステップ(進化)の話もあって、
それによると、解説は単なる「情報」ではだめで、
「”教育”ではなく”刺激”(何かを教え込むのではなく刺激である)」「"部分"ではなく"全容"(部分部分の解説ではなく、全体としてどのようなことなのかをいう)」へ向かっていかなければならない。。。と。

「刺激」と「全容」って、まさにSOUNDWALKのオーディオガイドのあり方。

SOUNDWALKのあり方がいいかどうか、っていうのは別にして、明らかに現代の進化したガイドとは言えるんだろうな。

まあこの例はたいしたことないけど、、、こうやって、「少しアカデミック」な視点を自分にもつことは、やっぱり面白いな♪

※1
記号の消費、に関しては下記エントリ参照
消費をしない、という極上の消費
January 11, 2010

Kindleがやってきた

kindle01


Once upon a time...

の段ボールとともに、
我が家にKindleがやってきた。
早いなあ、買ってから3日ぐらいでついちゃった。

海外の事例を研究テーマで取り上げるかぎり、洋書から逃れることはできない。
今まで洋書は全部図書館で借りていたけど、
もちろん、和書に比べると大学の図書館だけでまかなえるわけでもないし、
かといって買ってしまうと時間もお金もかかる。
それに、日本語より読むスピードが遅くなるので、ついつい読むのを後伸ばしにして結局返却期限がきてしまったり、
自分のものでないと、読み返したりできない。

なので、Kindleはガジェットへの好奇心以外にも(実際は好奇心のパーセンテージの方が大きいのだけど・・)興味があって、
そうこうしているうちに、Kindle for iPhoneが無料で出て、これでいいじゃん、と思ったのだけど、
実際使ってみると、購入のフローや長文を読むのにはiPhoneは私にはやっぱり小さくて、、、

というわけで、
満を持して、購入した、というわけ。

kindle02

アマゾンIDは最初から登録されていたので購入する時の再登録みたいなのは必要なかった


いやー、
はじめてiPod買って、iTunesから曲を買った時に、
「なんぼでも買ってしまう・・・」と思った時のことを思い出したねー。
あと、iPod買うまでは「とはいえ、私はCD欲しい!CDがあってこそ音楽を聴く行為だ!」なんてえらそぶってたのが、
一日にして宗旨替えしてしまったこととか(笑)。※1
なんせ、安いし。※2
なんせ、早いし。※3

もちろん、Kindle for iPhoneは機能的にはほぼ同じだし、てゆか、まず無料っていうのが素晴らしいけど、
うまくいえないけど、Kindle for iPhoneがあくまでモバイル体験の延長上であるのに比べると、Kindleは新しい「読書」体験のような気がした。
ひとつだけいうと、iPhoneユーザー的にはタッチパネルじゃないのがなんか既に一世代前の操作感に思えてしまうけど。。。

kindle03

雑誌もこんな感じ。今はニュース・経済系が多いけどファッション・カルチャー、増えて欲しい。
特にファッションとかは写真の権利とかの関係で難しいかな?


カラーでもうちょっとワイドスクリーンなのが出たら(※4)、絶対また買ってしまうよー。
って、iPodの時と同じ罠にひっかかってるわ。。。

日本での対応はどうなるのかなー。
年末・・・という噂だけど。

こんなものを手にすると、いよいよもって、前にみたこんな世界は目の前なんだろうなと思う。


フランス第二の大手出版社editisが、2007年に未来の読書風景を描いた長篇プロモーション・ムービーを発表している。近い将来、家庭内、書店、旅先などでどのように電子書籍デバイスが使われ、生活のなかでいかなる役割を果たすかが、具体的にとてもよくイメージできるように作られた、すぐれた映像である。

マガジン航 「未来の読書風景


前エントリでたまたまガイドブックの話を書いたけど、
この動画の中にも、途中で旅に出て美術館に行く時のガイドとして電子書籍を活用しているシーンが出ている。
旅に伴なうミュージアムやシアターのガイドブックも、あらゆるネットワークサービスと結びついて、飛躍的に進化するだろうね。もちろん、その先にある体験自体も変わる!
それが、このKindleによるものなのか、他によるものなのかはわかんないけど。
楽しみ楽しみ。

さて、
買ったことが重要なのではなくて、これで以前より洋書へのハードルが低くなったのが重要なわけだから、、、
勉強しないと(笑)。

kindle04

スリープモードの時にランダムに出てくるイラストのテイストも好き。


※1
といっても、CDや本という物体自体は好きなの。
特に、本に関しては、紙の感じや印刷された感じ、もった手触りとか、かなり気にする方だと思う。
そういう本は、本で持ちたいのよね、もちろん!

※2
書籍によって違うけど、普通にアメリカ国内でアマゾン.comで買うより15%ぐらいから60%ぐらいまで値引かれれている。
新刊本系でアマゾンは儲けはないぐらいらしい。ここを低価格にして購入者をひきつけ、そのかわり、端末、新聞雑誌購読料、読者層は限られるが高価な専門書、著作権の発生しない書籍などから利益を得ているとか。

※3
そりゃ、デジタルデータだもんね(笑)。全部の書籍かどうかは知らないけど、だいたいイントロダクションとかは無料で読むことができる。
新聞、雑誌だったら14日間、ただで購読もできる。

※4
ガジェットの大きさとしては今のバージョン(19.1cm×13.5cm×1.8cm、 292g)で問題ないんだけど・・・。ディスプレイはもう少し大きくしてほしい。
実はひとまわり大きいDXを買おうかどうしようか悩んだけど、持ってみると、私が買ったバージョンぐらいが持ち運びにはちょうどいいかと思う。
しかもDX、えらく高いし!(489ドル!通常Kindle259ドルも高いけどさ。。)